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アサクフカク

九州放浪 エピローグ

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突然だが、今回の九州放浪の旅で撮影した写真はこれが最後だった。
この後、目の前にある温泉を出て、テントに戻ろうとしているところで記憶は終わっている。
後にわかったのだが、テントを張っているこの場所からバイクに乗り、予定通りコインランドリーに行き洗濯し、コンビニで買い出しをしていた。
そして事故にあったそうなのだが、事故前後の記憶が全く無い。
温泉を出た次の記憶は、救急病院のストレッチャーの上で激痛に襲われ叫び続ける自分だった。



中学生の時、電話帳の様に分厚いオートバイ誌を友達と囲み、あーでもないこーでもないと盛り上がった。
XJ400Dに憧れた。
RZ350は俺には扱えない。俺にはRZ250だなとか妄想してた。
中坊で免許も取れないくせにバカヤローって言われそうだが(笑)
この時からヤマハ好きが始まっている。

高校は3無い運動真っ盛りで、真面目君な自分は隠れて免許を取るなんてこともせず、サイクルワールド誌を読みあさるのだった。
サイクルワールド誌はとてもデザインがキレイでワールドワイドな内容で、今で言うモトナビ誌ぽっかった。
でもモトナビ誌と決定的に違う事があった。
世界GP、全日本を全戦キレイな写真でレポートしていたのである。
学校の勉強はできないが、好きな事は水を吸うスポンジのごとくどんどん吸収してしまうキーン青年。
レースの世界にはまっていくのは必然だった。
中でも好きになったクラスは500ではなく、激戦の軽量級250。ハーベーのラバード、元祖肘スリ男ルジア、パックマンのガリガ、赤いストロボラインの奥村、長谷川、今でも自分の中では忘れられないヒーローだ。
この頃に軽量なバイク好きが確立したと思われる。

高校を卒業する頃、中型免許を取り、SRX400を買う。
いつもの三バカトリオで、宿の予約なし、行き当たりばったりのゴールデンウィークツーに毎年行った。
野沢温泉、出来たばかりの瀬戸大橋、雪の八幡平、今でも大切な思い出だ。

YSR80で2シーズンレース参戦。
鎖骨をポキッ。

88NSR、90NSR、ともに無限チャンバー(かっけ〜!w)で4シーズンレース参戦。
富士、筑波、鈴鹿、エビスに毎週のように通ってた。
総転倒回数20回以上。
入院1
鎖骨ポキッ
怪我をしていない時無し。常時どこかが痛い感じ(汗)
ま、下手くそだったってことだ(笑)
でも、本人はいたって真面目で、人生をレースに捧げてた。
稼いだお金はほとんど練習代、パーツ代につぎ込む。
仕事もレースのために変えた。
頭の中は常時タイムを縮めることだけを考え、その他の事はどうでもよかった。

結婚をし子供が生まれた。
20代半ばだったのでバイクどころではなくなった。車も手放した。お金が無く自動販売機でジュースを買うのさえためらった。
でも幸せだった。
バイクは乗れなくなったけど、仕事をバイクに係る仕事に変えた。バイクが好きなのは変わらなかった。

10年ほど経済的な理由でバイクは所有していなかったが、友人からグースを貰う。
ヨシムラのフルキットが組んでありエンジンは元気だった。
しかし足回りがほとんど動いていない。
リンクをばらすとシャフトに段はできてるしローラーベアリングも偏摩耗してる。もう全交換だ。終わってる…

パワーとかはどうでもいい。足がしっかり動くバイクに乗りたい。

WR250Xが登場した。
今思えば運命の出会い。
走った、走った、走り回った。
楽しくてしょうがない。
人生が変わった。これは大袈裟ではない。



事故での怪我は肋骨を数箇所、膝の剥離骨折と後十字靭帯の断絶、骨盤を6ヶ所骨折、金具20数個で固定していて抜くことはない。
入院生活は4ヶ月半。
いまだに腰回りは人のもののようだし、右足は完璧には動かず痺れている。

術後の激痛の中、こんなに痛いのならバイクにはもう乗らないと口走った自分。

今までバイクに乗ることに文句を言ったことがない両親が、もうバイクに乗らないでと言ってきた。

妻と子供は、好きな事をすればいいという。



長々と書いてきたが何を言いたいかというと、

自分の人生からバイクが無くなっても全く問題はないだろう。

でも、バイクに乗っていたほうが自然なのではないか。

今はその方向で頑張っている。



九州放浪記、おわり。

by keen45 | 2015-04-06 21:30 | 201410九州放浪